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【アラベスク】  第12章 マジカル王子様



第2節 権力の天秤 [23]




 今まで信じていたものが、信じられなくなっていった。
「特に、聖美さんに対してのショックが大きかったみたい。大好きだった分、反動も大きかったんだと思う。その頃からね、異性という存在を一歩引いて見るようになったのは」
 美鶴は何も言えずに聞いている。
 滋賀で、織笠鈴という生徒とツバサの兄についての話を聞いた時もそうだった。なんだか、自分の出生に関する悩みなど、ちっぽけな問題だと思えてしまう。
「それでも、女性に対して嫌悪を抱くまでではなかった」
「それが、織笠鈴という人の事件が起きて、好きだった桐井という人の本性を知ってしまって… というワケですか?」
 美鶴の問いかけに智論は曖昧に頷く。
「桐井先輩は、あの頃の慎二にとってはとても大切な人だったから、本当に太陽とも思える存在だったから、だから事実を受け止めきれなかったのかもしれない」
 太陽のような存在? 織笠鈴という生徒に罵声を浴びせ、ペットを捨てているお陰で生活できるのだから感謝しろとすら言ってのけた人間が、大切な存在だった。
 智論から聞かされている桐井愛華という人物像からは到底納得できない。そんな美鶴に、智論は薄く笑う。
「桐井先輩が結局のところはどういうつもりだったのか、それは私にはわからない。でも先輩は慎二にとってはとても大切な人だった。人を好きになる事の楽しさを慎二に教えたのは、先輩だったから」



「女子だからという理由で態度を変えるなんてサイテーよっ!」
 面と向かって罵声を浴びせてくる桐井愛華の存在が、慎二には新鮮に感じられた。
 慎二はその容姿により、小さい頃から特に異性にはモテた。だが、好意を寄せられれば寄せられるほど、不信感は強まっていった。塁嗣の出生を知ってからは、さらにそれが深まった。
 僕に近づいてくるのは、何か裏があっての事かもしれない。表向きが好意的だからと言って、腹の底では何を考えているのかはわからない。
 そんな慎二に、愛華は真っ向から反発した。
 慎二の好意を惹きつけようと甘く優しい態度ばかりを見せてくる異性たちが多い中で、その態度は慎二にはとても清々しかった。
「私は裏表のある人間なんて嫌い」
 ハキハキとした口調で慎二に語る。
「嫌われる事を恐れて自分の気持ちを表に出さないなんて、そんなの卑怯よ」
 他人の腹の内ばかりを探ろうとする自分の態度を咎められているかのようで、だがそんな自分に嫌気も感じていた慎二にとって、自分を救い出してくれる存在のように思えた。
「あなたはもっと自分の気持ちに素直になるべきだわ。大丈夫、私は嘘をついたり裏切ったりなんてしない」
 力強い愛華の言葉が、慎二には頼もしく、そして心地良かった。
 あぁ、この子の前では、疑ったり探ったりする必要はないんだ。見せてくれる笑顔を、聞かせてくれる言葉をそのまま信じていれば、それでいいんだ。
「人間にはそれぞれ良いところが必ずあるはずだわ。私はあなたの優しくて思慮深いところが好き。だからお兄さんに対して劣等感を抱く必要なんてないのよ」
 そうか、自分は兄の塁嗣に対して肩身の狭い思いをする必要はないのか。



「桐井先輩に出会ったのは唐渓高校に入学してから。その時慎二は知多の家を出て今の富丘(とみおか)の家へ移っていたけれど、同じ唐渓へ通う塁嗣の存在を意識していないわけではなかったし、時々顔を見せる聖美さんには蟠りを持っていた。家の中は、決して気兼ねなく心許せる環境ではなかったのかもしれない。そんな慎二にとって、心置きなく信頼できる存在というのは、とても貴重で大切な存在だったのだと思うわ」
 わかる気がする。誰も信用できない、信じたくないと思って生活するのは、決して楽ではないと、美鶴は思う。
 いつ裏切られるのかという不安。怖いと思う。
 怖いと思いながら、今度こそ決して自分を裏切らないはずだと信じる事のできる存在を見つけ、でもその人は同級生を自殺へ追い込むような人だった。
「ショックだったんですね」
「ショック、でもあったでしょうね」
 自分の言葉を100%は肯定しない智論の言い回しに、美鶴は首を傾げる。
「何か、違いますか?」
「いえ、違わないわ。ショックを受けた事には間違いないから。ただ、桐井先輩が織笠先輩を追いやったという事実だけが原因ではなかったからね」
 その言葉に、美鶴はハッと小さく息を呑む。
 そうだ、霞流さんは、織笠鈴という人が亡くなった後も、桐井愛華という人から離れたりはしなかった。逆に、彼女の為にできる限りの事がしたいと、涼木魁流へ告げたくらいだ。
 桐井愛華が織笠鈴を追い詰めたという事実を知らされても、それでも霞流さんは桐井愛華を信じていた。
 信じていたんだ。
「信じていたんですね。桐井愛華という人を」
 美鶴の言葉に、智論は今度ははっきりと頷いてみせる。
「えぇ そうよ」
 澄んだ瞳に気の強い女性への憧れと思慕を浮かべた、純粋で、一途で、少し頼りなさげだけれど決して他人を嘲るような感情など持たない、薄色の髪の少年。
「慎二は本当に桐井先輩の事が好きだった。なのに―――」



「せめて墓参りくらいには行くべきだ」
 そう主張する慎二の視線など軽く()なし、愛華はミルフィーユを一口食す。
 ビルの最上階。見晴らし豊かなカフェの個室。個室のあるカフェ自体、そうは存在しないだろう。古くは元財閥という家系をひっさげた愛華と、地元ではまだまだ影響力を保つ老舗繊維会社の息子という立場の慎二でなければ、予約を捻じ込むことはできない。
「どうして私が墓参りなんて辛気臭い事をしなければならないの?」
 不平を口にする愛華の前で、慎二は根気よく説得する。
「君が追い詰めたのは事実だ」
「追い詰めたワケではないわ。私は事実を言ったまでよ」
「動物を殺して生計を立てているなんて、そんな物言いはあんまりだ」
「あら、でも事実だわ」







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